生きる原点、両親の姿
ここで、田渕祐輝が大切にしている三つの話をお伝えします。
一つ目は、父と母から学んだ「生き様こそが教育」という教えです。
田渕が今、社会保険労務士の仕事をしているのは、同じく社会保険労務士であった父に憧れを抱いたことがきっかけです。しかし、それ以上に人間として父、そして母に大きな尊敬の念を抱いています。
「今の私があるのは、まさに両親あってのこと」と田渕は言います。
田渕の父はもともと、建設会社の経理をしていたのですが、そこで生涯年収を計算した末に一念発起。社会保険労務士の資格を取るため猛勉強し、一発合格で、田渕が小学校1年生のときに会社を辞めて開業しました。
そして、高校の教員だった母は、母である以上に先生だったといいます。視野の広い、とても度量のある人でした。
例えば父が独立を相談したときも、「いいじゃない、がんばりぃ」と強く後押し。後に無謀な独立を相談したときも「がんばりぃ」と全く反対しなかった人です。
父という存在
父の開業当時は、母も働いていたので安定的な収入はあったと思われますが、「いつかディズニーランドに行けたらいいね」などと話していたこともあり、当時の田渕家は決して裕福ではなかったようです。
しかし父は開業後まもなく、自宅敷地内にプレハブで事務所を建て、2名のスタッフを雇い昼夜を問わず仕事に勤しみました。やがて自宅も改装され、どんどん家庭は豊かになっていきました。
自宅の敷地内ですから、田渕は必死に働く父の姿を常に目の当たりにしてきました。そしてどんどん豊かになる生活。
父は、よく家族旅行を計画していました。出発ギリギリまで仕事をし、「よし!終わったぞ!」と、勢いよく車で出発。両親と、弟二人がいたので3兄弟、そして愛犬も連れて、北海道や九州にも車で行きました。
父は仕事熱心な人でしたが、そんな思い出のおかげで、田渕や兄弟は決して寂しい思いはしませんでした。
母という先生
母のことで田渕がよく憶えているエピソードがあります。小学一年生の時、田渕は授業で手を挙げ、ある発言をしたのですが、担任の教員が「みなさんどうですか?」とクラスの子に問いかけ、皆から「違います!」と総スカンを食らったのです。
その時、母は「あれはおかしい!」「正解をどうこう決めるのが教育ではない!」と。「そんな教育では、子どもたちが手を挙げなくなる。積極性がなくなる。考えなくなる」と、学校に猛抗議しました。
母はよく、「みんなが敵でも私は守る」と言っていました。
これが、幼い田渕にとってどんなに心強かったか。
そのため田渕も、いつも自分の子どもにそのように言っています。
「パパは味方だからね」と。
その上で、「いいことはいいけれど、ダメなことはダメ」と教育してくれた母。
母は本当の意味で「先生」だったと、田渕は言います。
生き様が教育
やがて将来の道を考える歳になった田渕は、家族のために独立し成功した父に憧れ、こう相談しました。
「一番儲かる仕事ってなんだろう?」
父は「そうだな。士業の中でも、弁護士か公認会計士かな?」と。
そして田渕は公認会計士の勉強を始めますが、どうも身が入らない。
結局、大学卒業後に両親にお願いして、社会保険労務士の猛勉強を始めます。田渕は、ただ儲かる仕事がしたかったのではなく、父のようになりたかったのでしょう。父が見せてくれた姿に、日々強く憧れていたのです。
そして母も「がんばりぃ」と常に家族を励まし、小さな田渕を守ってくれた。強い信念を持って。
田渕が今、トレーナーや研修講師、講演の仕事をする上で、常に心がけているのは「まず自分がやる!」「背中を見せる」ことです。
それは、両親の姿を見て、教育や指導とはかくあるべきと強く思ったからです。
まさに「生き様こそが教育」であるべきなのです。